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御祭神

天御中主命(あめのみなかぬしのかみ)

高皇産霊命(たかみむすびのかみ)

神皇産霊命(かみむすびのかみ)

天日鷲命(あめのひわしのかみ)

御神徳

天御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神の三柱の神様は造化三神と称えられ宇宙の初めの時お生まれになられこの世の中のあらゆるものを初めてお造りになられたという御偉業から、災いを除き、人を苦しみから救い、あらゆるものを産み成し育て、お守りして下さる霊験あらたかな神様として仰がれております。天日鷲神は一般にお酉様として知られ豊漁、商工業繁栄の守護神として古栄郷土の人々の篤い信仰をあつめてまいりました。

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御由緒

当神社は正保元年(1644)九月五日、千葉家の遺族、登戸権介平定胤が祖先を供養するため千葉妙見寺(現在の千葉神社)の末寺(白蛇山真光院、通称登戸妙見寺)として妙見大菩薩を奉斉し、僧定弁に守護させたのがそのはじめであると伝えられております。その後、十四世興胤の時、慶応三年(1867)十二月二十六日、御社号を登渡神社と改め御祭神を天御中主神以下の造化三神に定め、明治四十一年(1908)十二月十八日、登戸字鷲塚(千葉市新千葉三丁目)鎮座、鷲神社(御祭神、天日鷲神)を合祀し、四柱の神様をお祀りすることになりました。のち昭和四十八年(1972)八月五日、御鎮座三百三十年記念臨時大祭を執行し、更に、平成二年(1990)六月三十日、本殿移築、弊殿・拝殿新築、また、神輿庫、大師堂、古札納所新築、その他末社の修理、境内地の整備等が成り遷座奉祝祭が賑々しく斎行されました。今上陛下御大典という我国歴史上の佳年に、この大事業が成されたことは御神慮は勿論のこと、敬神の念篤き氏子崇敬者の皆様方の御尽力の賜物であると存じます。当神社の氏子崇敬者が千葉市西部地区全域に及ぶことから特に西千葉総鎮守と称えられ広く一般の人々から尊崇されております。

社殿

​本殿は総檜造り、銅板瓦葺屋根、奥行四間、間口四間の伽藍構造で嘉永三年(1850)六月、信徒の浄財五百両をもって、葛飾郡八木村の棟梁紋次郎の施工により完成し、昭和六年(1931)六月の大修理を経て現在に至っております。また御本殿の諸彫刻は信州上諏訪の立川内匠正の作になるものでその精巧壮麗さの故に。昭和四十三年(1968)千葉市文化財として指定されました。

平成二年(1990)の大造宮で本殿を現在の場所へ移築し、新たに鎌倉時代の建築様式に準じ、桧造り、間口六間、奥行三間の入母屋造銅板一文字茸の拝殿。前面を間口二間の流れを向拝とし、後方に間口五間、奥行二間半の切妻屋根の幣殿、神饌所、祭器庫を設け、幣殿は正面に高欄を廻し、床を桧板張り、天井は格天井鏡板張仕上げとしました。

​又、神輿庫、大師堂、古札納所新築、その他末社の修理、境内地の整備、植樹等が成されました。

その後、御鎮座三百五十年(平成六年)には神輿二基の修理、正面階段、参道の修復、鳥居が新規に建立され、平成二十四年九月に神楽殿、末社七社の神殿も新たに新築建立成り、平成二十七年七月には念願であった参集殿がみごと竣工されました。

​これは敬神の念篤き氏子崇敬者の皆様方の御尽力の賜物であります。

​鎮座地

千葉県千葉市中央区登戸三丁目三番八号

​JR総武線千葉駅西方約六百メートル

神社名

登渡神社

(通称 登戸神社)

宮司

星次 百太郎

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